シリーズ ・
旅行記




『ヒロシマ』

4月19・20日


なぜヒロシマか。

新建築社から発刊になった『丹下健三』を通読しているうちに、
藤森照信の名文に引き込まれていき、
彼の実作におけるデビュー作、
『広島ピースセンター』をぜひ体験したくなったからである。

実は今回で広島は、3回目だと思う。
2回目は、建築の学生であったにもかかわらず、
恥ずかしながら、丹下作品は全く意識下になくて記憶にない。

原爆の悲惨さばかりが強烈に心をうち、
おそらくそれどころではなかったのではないかと思う。

今回平和公園を訪れて、感動した。

それは単に当然のごとく建築単体にではなく、
戦後1949年の建設から55年の時間の経過をしてもなお、
どんどんと人々を引きつけ続けるそのスケールの大きさすばらしさ、
それは丹下の手を離れても、その当初の意図をはずれることなく、
都市の中にこういう展開もあるのだ、
ということを思い知らせてくれます。

*

1.

18日夜に広島に入り、19日は雨の宮島見学。
そして、夕方県庁前の「リーガルロイヤルホテル」にチェックイン。

 
21階の部屋にはいると、窓から平和記念公園や原爆ドームが目に飛び込んでくる。


荷をといて、さっそく平和公園に向けて散歩に出る。


  
ホテルから、市民球場横を通って、相生通りにでて、原爆ドームに向かう。



夕暮れの相生通り川からのアプローチ。



近づいて通り側から。


    
元安川側は、道路沿いにツツジがいっせいに咲いていて、夕暮れに映えて美しい。



そして、北側に回り込んで。
手前にあるのは現代彫刻かな?


ぜひ見てほしい関連サイト
http://www.hi.hkg.ac.jp/peace/jp/map.html


平和大通りに対して原爆ドームに向かって、直角に線を引く。
(赤い直角の線)
それを軸線にして資料館や慰霊碑を配置していく。

原爆ドームをぐるっと回って相生橋を渡り、途中のT型の橋から平和記念公園の中島に渡る。
そこから、斜めに走る「つつみかた」の道路をそぞろ歩いて、原爆慰霊碑に出る。

なんと明快で感動的なことか!

ドーム側を見れば、その軸線上に「平和の灯」が燃え続け、そしてさらに向こうに「原爆ドーム」が見える。
一方、平和大通り側を見れば、ピロティで持ち上げられた資料館の向こうに噴水が見える。
その資料館がまたすばらしい。
メディアで見続けてきた現物を体感するとき、それが想像を超えていたときの感動。
あのコンクリートの造形物が、力強く持ち上げられている。



そのピロティをくぐって、噴水のところまできて、
軸線上にドームに向かってカメラを構えてパチリ。
ピロティを通して、
慰霊碑・平和の灯・原爆ドームが軸線上に連なるのがよくわかる。
日は完全に沈んでいた。

他には誰もいない噴水の柵のところで、
西欧人の若い男女がなにやら語らっていた。
日本なのに、それは極日常的光景に見えた。
全く違和感はなく、パリのどこかの街角のようだった。
目線が合ってお互い思わず、ニコリと挨拶しあった。

帰りは、また軸線上に展開する施設を体験しながら散歩。
1949年当時としては、画期的な展開の計画。
55年経過した今も丹下の意図は貫かれ、
そしてすでに、現実はその想像を越えた感動になっている。


2. へつづく



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