---このホームページは、2002年3月をもって、KAWAMATA公認となりました。---
1992年、来岩レポート
ドイツでプロジェクト中(たぶんカッセル?)の
KAWAMATAに国際TEL.して、
航空券を送ったら、(スポンサーは早川建築資材と武部建設)
わざわざ来てくれました。
6月24日、
岩見沢市役所ふるさと推進室を訪れ、
山七倉庫やレールセンターを視察。
も、そこそこにやきとりの「三船」で同期会。
三船で記念撮影、
川俣ときいて、バラエティーにとんだメンバーが集まった。
その2
2次会も。
メンバー入れ変わってますね。
その夜は、我が家のピアノの下で寝ていただきまして、
翌日6月25日、
抹茶をいっぷくいただいてから、
中川智と3人で、
彼の希望により炭坑跡の、三笠奔別から、夕張に抜けて、万字をまわって、
岩見沢に戻り、帰っていきました。
これは、三笠唐松あたりかな。
やはり若いね。
「強者どもが夢の跡」
左、三笠弥生と右、三笠奔別の高台に立つ。
山七倉庫、利根別川対岸からと内部。
レールセンター。
後日、名著『工事中』他、著書が数冊送られてきました。
これは、写真だけで見ても、いい感じだな、と思います。
体験すると断然いいんだろうな。
『デメーテル』のシンポジュームで言ってた、
「まずテーブルにつきましょう!」が、
『on the
table』ということか、いまさら納得。
何気なく買った週刊朝日に載っていた、ちょっと感激した記事。
この頃から、メディアを通して、KAWAMATAと出会う偶然が、
以前にも増して頻繁になる。
その直後の彼からの手紙と年賀状。
という三笠・岩見沢での、過去を経て・・・
そして、しばらくの後、芸大教授就任時のeメールのやりとり。
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