シリーズ ・
旅行記




『伊勢・鳥羽』

9月10・11日



今回の目的は、ひとつ。
数々の賞を受賞した、
鳥羽にある、内藤廣
の『海の博物館』を見ることでした。




3.

鳥羽『海の博物館』
http://www.umihaku.com/


このあたりの海沿いの道は、県道といっても北海道の道道とは大違いの幅員。
場所によっては、軽自動車がやっとすれ違えるどうか、
という山道だったりするわけです。
それに県道何号線とかいう標識がかかっていたりするから北海道人には、驚きです。





博物館内にあった鳥羽城の模型。
*
鳥羽の地はもともと伊勢神宮の神領であり、平安時代末期に橘氏がこの地を領して治めていた。
戦国時代の、1568年(永禄11)、伊勢波切城主であった九鬼嘉隆は織田信長を後ろ盾にして、
妻の実父橘宗忠を攻略して、志摩一円を支配した。
1594年(文禄3年)、嘉隆は鳥羽湾に浮かぶ小島に、三層の天守を設け、水軍の将にふさわしい海城を築きあげた。
嘉隆は信長麾下の海将として、長島一揆討滅戦に活躍、
また、石山本願寺との第二次木津川海戦において、
かの有名な大鉄甲船を用いて、毛利水軍を粉砕する活躍を見せ、勝利した。
信長の没後、嘉隆は豊臣秀吉に仕え、
水軍の将として紀伊・熊野・伊勢一帯の制海権を与えられ、
九州征伐や小田原攻めなどで活躍をする。
*
とあって、かなり歴の古い、リアス式海岸の良漁場が背景にある。
その漁業にまつわる展示物が主になってます。


 
アプローチ途中に搬入裏門がある。


 
鉄筋で工作したその鉄扉。



アプローチ途中にみるギャラリー。



長いアプローチは期待感が高まってなかなかいい。
そして、入り口に到着。



展示館Aの横を通って、入り口にアプローチする。
赤い大扉がインパクトがある。



さらに寄ったところ。右手は当初なかった喫茶&レストラン。


 
大扉ディテール。



外壁ディテール。



喫茶側の水の張ってない池から展示館Bを見る。



キャノピーの柱ディテール。


 
まず喫茶に入って、コーヒータイム。
木をベースにしたデザインでこじんまりとしていて、くつろげる。




 

 
展示館、ふたつ、収蔵館三つ、その絶妙の配置によって生まれる外部空間がいい。
変化に富んだA、B館中間ゾーン。
これがまた、いい。



そこから、エントランスキャノピーを見る。


 
展示館足回りの連続した開口。



その小庇、方立てのディテール。


  
展示館棟のトップライト。
外部からのデザイン的処理もいいし、内部も以外に効いている。


 
B館の裏を抜けると、かきの養殖が見える伊勢湾にでる。



海岸までの道は、こんな道。



B館の横のスペース。




 
そして、内部展示空間。



B館横に小高い丘があり、そこは古墳跡。
その高見からのショット。


 
塩害を考慮した仕上げの瓦屋根の連なりと、
海女の魔よけの絵がデザインされている軒瓦。


 
3棟の収蔵庫のアプローチとエントランス。



構造は、展示棟の木造に代わってこちらは鉄筋コンクリート造。
十字型をした、その柱型と間接照明。


 
収蔵庫と展示棟の間にできた中庭空間。
真ん中に水が湧く・・・

*

ロケーションを読み切った絶妙の配置計画と
個々の建物の素朴で質素なたたずまいの中に漂う気品みたいなもの。
う〜んむ、多くの賞を受けたわけがわかりますね。

最後にショップで、海苔の佃煮を買い、
内藤廣が自ら発行した『海の博物館』の写真集も当然買い、
ついつい奥さんが書いた『相棒は建築家』も買ってしまい、
ついでに熊野古道のガイドブックも買って今度はこれをもとに歩こうと思い、
そして最後に、はじめに入った喫茶レストランにまた入りなおして、
名物の「ところてん」を食べてかえって参りました。

*

内藤廣関連サイト
http://takebe.replanweb.net/bunka/machi/ryokouki/dougai%20/nagano/yatugatake5.htm




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4.へ続く


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